冥途論とは、御奉仕冥途教の皆様と共有したい考え方を、
一応の冥途長である慧琉が好き勝手のたまうという、
週間更新できたらいいな! というコーナーです。
「御奉仕冥途教・交換誌」から冥途詩へ転載することと相成りました!
ので、リバイバル(再掲載)で御座います。
それでは、第一回冥途論をお届けします。
今回のテーマは「変」!
続きは右下の「第一回冥途論」からどうぞー。
一応の冥途長である慧琉が好き勝手のたまうという、
週間更新できたらいいな! というコーナーです。
「御奉仕冥途教・交換誌」から冥途詩へ転載することと相成りました!
ので、リバイバル(再掲載)で御座います。
それでは、第一回冥途論をお届けします。
今回のテーマは「変」!
続きは右下の「第一回冥途論」からどうぞー。
さて。
「変」ということですけれども。
このテーマを選択したのに、それほど深い意図はありません。
何となく思いついたからです。
世間的に「変」って言われると、何やら悪口の部類に入る場合が多いようです。
ニアリィイコールで「非常識である」「TPOをわきまえていない」というような、
そんな意味で使ったり、使われたりするからでしょうかね。
一方で。
個人的には、「変」であることは価値だと思っております。
「変」って、褒め言葉の一種。
もちろん他人とうまくやっていくために、わきまえるべきことはあるでしょう。
時・場所・しきたり・相手の都合などなど。
けれど、他の人達と違う視点を持つこと、自分の意見に愛着を持つことも大事です。
生物的にいえば、「多様性」でしょうか。
同じ性質のものだけが寄りそうと、全体的には脆弱になってしまうのです。
何せ、世の中はいろいろな様相を見せるものですから。
みんなが同じですと、一つの状況にしか対処できません。
多くの「変」が集まった組織には、柔軟性があるのです。
また、個人の方から見れば、「他と同じ」ということは「代替が効く」ということ。
つまり「代わりはいくらでもいる」ということですから……
アイデンティティや自分がいる意味を見出しづらい。
そしてそれは、人にとって自己の存続に強く絡んできます。
だからこそ、「変」は価値なのだと思うのです。
ちなみに、「突飛なことをしろ」とか「狂人になれ」とか、
「他人の言うことを聞き入れるな」とか……そんなことは言ってません。
馬鹿なことや常識のなさを示すのが価値だとは、ちっとも思いません。
さっきも言ったように、分別はきちんとわきまえましょう。
私が評価したい「変」というのは、その人の持つ個性や感性のことです。
人はそれぞれ違って当たり前なのですから。
自分の「変わったトコロ」を、自分で潰してしまわないでほしい。
「素晴らしい」と思ったことは、素直に認めてもいいと思います。
嫌なことは嫌だし、好きなものは好き。
それでいい。
とはいえ、他人へ押し付けたり、強く理解を求めたりするのとは違います。
それは「違って当たり前」の裏返し。
他人は必ずしも自分の「変わったトコロ」に理解を示してくれないものです。
「変である」ということは、
自分を認めること、と同時に、自分だけの力で立つこと、なのです。
そして、その覚悟と行動ができて初めて、
他人の「変なトコロ」も受け止められるようになります。
それぞれの価値が輝きを持ち始めるのです。
すると、やがては、掛け替えのない仲間たちを作れるようになるでしょう。
どうか、「変」であることを恐れずに。
きっと大事な自分の一部でしょうから。
その人の立派な個性なのでしょうから。
御奉仕冥途教の皆さんは、誇りある変人たちだと思ってます。(笑)
ととと。
なんか説教臭くなったうえに長くなってしまいました。
次回は「変・その2」!
変えられることと、変われることについて触れたいです。
「変」ということですけれども。
このテーマを選択したのに、それほど深い意図はありません。
何となく思いついたからです。
世間的に「変」って言われると、何やら悪口の部類に入る場合が多いようです。
ニアリィイコールで「非常識である」「TPOをわきまえていない」というような、
そんな意味で使ったり、使われたりするからでしょうかね。
一方で。
個人的には、「変」であることは価値だと思っております。
「変」って、褒め言葉の一種。
もちろん他人とうまくやっていくために、わきまえるべきことはあるでしょう。
時・場所・しきたり・相手の都合などなど。
けれど、他の人達と違う視点を持つこと、自分の意見に愛着を持つことも大事です。
生物的にいえば、「多様性」でしょうか。
同じ性質のものだけが寄りそうと、全体的には脆弱になってしまうのです。
何せ、世の中はいろいろな様相を見せるものですから。
みんなが同じですと、一つの状況にしか対処できません。
多くの「変」が集まった組織には、柔軟性があるのです。
また、個人の方から見れば、「他と同じ」ということは「代替が効く」ということ。
つまり「代わりはいくらでもいる」ということですから……
アイデンティティや自分がいる意味を見出しづらい。
そしてそれは、人にとって自己の存続に強く絡んできます。
だからこそ、「変」は価値なのだと思うのです。
ちなみに、「突飛なことをしろ」とか「狂人になれ」とか、
「他人の言うことを聞き入れるな」とか……そんなことは言ってません。
馬鹿なことや常識のなさを示すのが価値だとは、ちっとも思いません。
さっきも言ったように、分別はきちんとわきまえましょう。
私が評価したい「変」というのは、その人の持つ個性や感性のことです。
人はそれぞれ違って当たり前なのですから。
自分の「変わったトコロ」を、自分で潰してしまわないでほしい。
「素晴らしい」と思ったことは、素直に認めてもいいと思います。
嫌なことは嫌だし、好きなものは好き。
それでいい。
とはいえ、他人へ押し付けたり、強く理解を求めたりするのとは違います。
それは「違って当たり前」の裏返し。
他人は必ずしも自分の「変わったトコロ」に理解を示してくれないものです。
「変である」ということは、
自分を認めること、と同時に、自分だけの力で立つこと、なのです。
そして、その覚悟と行動ができて初めて、
他人の「変なトコロ」も受け止められるようになります。
それぞれの価値が輝きを持ち始めるのです。
すると、やがては、掛け替えのない仲間たちを作れるようになるでしょう。
どうか、「変」であることを恐れずに。
きっと大事な自分の一部でしょうから。
その人の立派な個性なのでしょうから。
御奉仕冥途教の皆さんは、誇りある変人たちだと思ってます。(笑)
ととと。
なんか説教臭くなったうえに長くなってしまいました。
次回は「変・その2」!
変えられることと、変われることについて触れたいです。
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非公開
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冥途。
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PHANTASY STAR ONLINE 2にて活動中の、御奉仕冥途教団・冥途長こと、慧琉(える)が記述しております。
日誌にして、気まぐれにして、知識置き場で御座います。
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